下書き日記

下書き日記

人目を気にせず、断片的に

2/11

アウトドアメーカーのギアがもっとほしいなと最近よく思う。服を買うならユニクロ無印良品かアウトドアブランドばかりだ。中途半端なブランドものには魅力を感じない。高いものは汚さないか、壊さないか心配になる。安いものと堅牢なものが良い。

提出したレジュメの返信が無いと不安になる。

石の下の草

2/10

小さい頃熱海のバナナワニ園に行った思い出。 記録しておけるのがいい。ブックマーク。 自分は流行りものの価値が中々わからない。もう流行っちゃってるから。 前にオンライン読書会で感覚的な人から美術館や占いを勧められたことを思い出した。勧められたという程強い言葉ではなく、そういう話になっただけなのだが。 自分が普段触れていない世界、使っていない部分で生きている人やものや環境に触れるのは新たな刺激への期待が膨らむ。 この前一人で地元の美術館に行ってみた。行ってみたというより彷徨っていたらたまたま目についたので入ってみた。かなり良かった。 じっくり見れた。特別展をじっくり見たら疲れてしまって常設展は見なかった。 高校最後の行事で八景島シーパラダイスに行った。水族館をじっと眺めるのが楽しかった。ゆっくり巡れる仲間がいたのが良かった。 いつも遊んでいる友達達は少し退屈だったようで先に行ってしまったが、いつもそこまで一緒に居ないクラスメイトと回った。水槽を見るペースが丁度良くて、かなり良かった。 同じようなペースでゆっくり水槽を回れるというのはなんと幸せなことだろうか。無茶して垂直落下アトラクションに乗ったことと、その体験が良い思い出だ。

そういえば漫才を生で見たかったんだった。今はUberEatsという大義名分がある。感染対策をしっかりとして都心に行ってみたい。 もう少し頭ではなく感覚を使う割合を増やしたい。そういえば大学生なので無料で入れる美術館がいくつかあった。

今UberEatsをやる理由って何だろうとふと思った。勉強をするのが最も効率的な投資だというツイートを見掛けて、自分の行動が引っ掛かった。貯金をするにしても就職後の方が良いだろう。 理由はシンプルで家で寝ているよりマシだからだ。順位がある。 とりあえず自分の今持っている欲求を出来る範囲で満たしていこうと思う。 既定路線に自分を当てはめていくだけでは、未知が分からなくなった時に困るし、ストレスがたまる。なるべくなら自分の道を自分で作りながら歩いた方が精神衛生上良いだろう。 勿論、物理法則を無視してはいけない。

2/9

友人の歌詞。

ノーガンズライフ

これはどういう曲なのか。どういう情景が感傷がこの曲の中にあるのか。 何となく当て嵌めた言葉を積み上げて、そこから自分の中から出てくる何かまとまりのあるものを汲み取ってストーリーを見出して歌詞にする。

曲①

自分と誰かと街との狭間でちょっと疲れてしまった主人公。 イライラしたり、従ったり、わからないことだったり、不自然だ。

街の中にある自分の住む場所。扉の外の街。明け方なんかは特に寒い。凍える。 その中で出かけたり、始めたり、何かを待たなきゃいけない。それが続くとやはり乱される。 街の中でふとした時に自分を包む自然に気付き、少し心が軽くなる。

夜が明ける前に頬を照らす光だったり、呟いた言葉を溶かしてくれる風だったり。 雄大な朝焼けの向こうには確かに「明日」なるものがあると感じられる。

出かけた先の世界は騒がしかったり、うるさかったり、街の中でふと感じる自然では無い不自然な何かばかりだ。 暗くて冷たい気持ちになることもある。主人公は少し疲れている。上手く眠れない。眠れない理由があるのか。やることがあるのかはわからない。 夜更かしの跡は朝を迎えた顔にしっかりの残っている。

誰も居なくても、自分しか居なくてもそこには必ずふとした時に顔を覗かせる自然がある。 徹夜がイヤだ。徹夜の疲れた頭と体で外の予定に行かなければならない。そういう不自然を感じる。

夢というのが出てくる。扉の外の世界でも、家の中でも無い。究極に個人的な、その個人さえも居たり居なかったりする不確かな時間と空間。 個人の中に眠る自然とも言える。

曲を通して主人公の内面は何が変わるか。 明日への希望が少し出てくる。ここでいう明日は日付としての明日ではなく、未来への希望・期待のようなもの。 →自分の中に自然を見出す。外の時間の流れに従い、疲れてしまった。自分の中の自然は手放してしまい見えなくなっていた。 身体の流れ。血液、心臓、呼吸。吸って吐く息。体温。寒いということ。

ケチをつける。なぜ自然に癒されるのか。ただ目的も意味も意味付けられず、ただそこに当たり前に存在しているさまから。

2/2

感想を言うと今この瞬間の自分の好みが分かってくるな。 肯定的な感想は浅くなりがちだけど、否定的な感想は結構スラスラ出てくる。 書かれた方はちょっとイヤだろうが、感想を書くレベルにはちゃんと聞こうとしている姿勢があるのかもしれない。 否定が先にあってそれに当てはまる感想を言ってしまったら違うが。 身体に馴染んじゃうというか、分かってしまう作品は感想を言わずともなんだが、全然悪くは無いのだが、特段言うことが思い付かない場合もある。どっちつかずというか、肯定はするが事実を述べただけのようなパッとしない感想になりがち。

1/31

深夜 死にたい気持ちと死にたい欲求は違うのか。前者は現状が苦しい、逃げ出したい。後者は絶望まで行ってしまった。絶望まで行ってしまうと本当に危ないので、なるべくその前に病院に行ったり、SOSを出さなければいけない。

誕生日は生まれてきたことに感謝する為に祝うのかと気付いた。 今まで生きていてその意味がわかっていなかった。意味がよくわかっていなかったので形骸化した風習かと思っていた。 プレゼントやお金を貰える日。

従うこと、求められることだけをするのは... 一見無意味だが自分にとって意味のあることは自我が育っていないと起こらない。無意味な事をするのはとても意味のあることなんじゃないか。

夜 相手のことはイメージを通して見ている。目で表情や動きを見て、耳で声を聞いて、それまで接することで自動的に作り上げられたイメージ。人生経験や知識で解釈のレベルが上がる。 そのイメージとはかけ離れたその人の内側の現実があることに驚く。相手に持っているイメージは真に信用できるものではない。 その人が内側に持つ現実は世界の真実という訳でもない。勘違い、思い込みに溢れている。その人自身が真に無条件に信用していいものではないと思う。 では事実とはどこにあるのか。頭で思ったこと、考えたこと、心や体で感じたことそれを「ただ」表現するというのはかなり事実に近いことなのではないだろうか。 「ただ」というのは誰かの目を気にして言わなかったり、利害を気にしてやめたりではなく、ただ、そのまま、検閲無しに垂れ流すこと。 赤ちゃんの頃は不快があればただ泣いていた。誰かの助けが無ければ死んでしまうからというのもある。 自分の持つ力でお金を手に入れたり、生命維持に必要なライフラインをどうにかできるようになった後も「ただ」表現するということは必要に思える。 ここで重要なのは「表現する」ことだ。表現とは自分の視点だ。誰かが見てわかる必要はない。誰かにわかるように伝える必要は必ずしも無い。表現は感覚的に伝わる。 言葉が難しかったら絵でも歌でも叫びでも、体の動きでもいい。なんでもいい。自分がしっくりくればいい。 もしかしたら表現には聞き手が必要かもしれない。必要なのは聞き手がいる可能性かもしれない。

ここで重要なのは聞き手の態度だ。行っていること、言っていることが意味不明だったり、論理的でなかったり、社会の目線で自分勝手など不適応に当たるものでも、それは「ただ」表現した結果かもしれない。 相手は自分に対して「ただ」表現する必要に迫られているのかもしれない。「ただ」表現した結果が認められるのは素晴らしいことというか必要なことというか、望まれることだ。 相手の言っていることを自分として受け入れる必要はない。それは難しいし、依存的な人等に対してはそれが良いとも限らないと思う。「ただ」表現した相手への聞き手というか、立ち会っている人くらいの態度がいいかもしれない。 赤ちゃんのように、相手の生命維持のための行動、つまり解決を自分がする必要が無い。解決をしなければと思ってしまうと表現を聞くのが嫌になる。あくまで立会人だ。自分の反応を通して相手自身が自身を客観視できる等、誰かの目がある状態で表現をしすっきりする等、 解決は相手のもつ力に任せる。

家庭の中で生まれ育つ。家庭の中では不快なことをそのまま表現すればいい。 しかし社会に出るとそうはいかない。そこで自分を偽るというか、社会に合う形で自分を曲げる必要性に迫られる。 家庭のような場所が無いのに社会適応なんて有り得ない。家庭のような自分が安全な、安心してただ表現することのできる場所無しに社会に適応する意味さえ分からない。 そこにはライフラインの供給以外の意味は無い。

社会の反対は家庭なのかもしれない。 母親の反応というか、何かがわからない。父親には言語化できないが共感が働いている。母親へは難しい部分がある。動きをよく見ると納得できる部分もあった。 言ってやりたい気持ちもあるが、場の目的やそれはそれで自分の思いに反する。母親は感情的なように見えて奥は空虚に見える。父親の感情は堅い殻の奥にある。母親の感情はパーツごとに分かれているようにも見える。切り替えの早さに驚く。自分の視点からは不敬とうか不遜に見えてしまう部分もあり、少しもやっとする。勿論誰が悪いわけではない。構造の違いから来る視点の違いの具体的な部分がわかれば納得できる。 社会的な役割もあると思うが。父親の感情の構造というか、さっき書いたことは自分と似ているので共感が働くのかもしれない。 シンガーソングライター以外に価値を置かないのは、安易。人生をひとつ丸々失うような。

身体は大人になったが中身はまだまだ子供だ。それは自分と出会う人もきっとわかってくれていると思う。だから焦らなくていい。

1/30

ヨーグルト みせもの 顔色を伺う 責めたくなる気持ちが湧く。発言が自分の中の何かに触れ、拒否反応のような形で浮かび上がる。抑えても疲れるし、口に出すと後悔する予感がする。 年齢より年輪。 メンタルヘルスに役立つロードマップ。

1/29

 弱っている人は自分から訴えるエネルギーが無いのかもしれない。それは親友でも親でも。 弱っている人に対しては迷惑かもしれないが、こっちから声をかけた方が良い。 弱っている人が弱っていたことに気付くのは、乗り越えた後か、行くところまで行ってしまった後である。

甘えられる人、甘えられること。甘えるなとは言うけれどそれは本当は生きていく上で欠かせないものなんだ。