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なろう系 次郎系
詞の掃き溜め
時が経つのを
生き物達が 目を覚ます頃 有り得ないほど気持の良い気候だけが胸の内を癒す。
新しい扉の向こうの足音が近づく度に心が重くなる。
この自然に溶けだしたい。 いつもと変わらないはずなのに未だ見えない季節の先。
背を向けたくなる作りものの桜の葉に群がる毛虫のしぶとさを見て。 整列する。
それとおんなじものを自分の頭の中でも探してみているけれど、ちっとも見当たらない。卵の殻ばかりが落ちていて、肝心の中身が見つからない。
ほんとうのことが持つ気持ちの良さをもっと浴びてみたい。もしそれが自分の内から出てきたとしたらそれほど素敵なことは中々無い。
その言葉に触れたときに身体の中を流れる澱みの無い何かをもっと感じていたい。 浅い息を飲んで 出かけるんだ今日も
冷めたままのコーヒーがまだ 机の上にあるけど
思った以上に会話は難しい 難しいこと
でたらめな風
蛍光色の太陽と結構な間隔で置かれた鉄塔。
水の流れが見える場所が時計の代わりになる。
働くことを知らない子供達。
家の外は寒く、知らない本屋は楽しい。
断片的な言葉を紡いで作られた読める文は素晴らしい。
準備無しに飛び出した言葉は読めないことも多い。
じわじわと湧く詩への興味。
街を歩いていて思わず目が留まるような、足を止めるような魅力がある。
2/26
電動式昇降デスクに憧れはあるけど、立ち用の机と座り用の机両方よういすればいいんじゃないか。
安全さのある人、関係を最も必要としている。実力がある人でも自分にとって安全でなければ頼れない。
2/20
本の楽しみ方のひとつ
昨日思ったこと。本の楽しみ方は読むことだけではない。手触り、デザイン等モノとしての本もある。 モノとしての本を手に取り、大きさやデザイン、手触りに意識を向けてみる。そして本の裏表紙に書いてあるあらすじを読んでみる。これだけで大分楽しめる。本屋はちょっと微妙な顔をしそうだが。 中古ではなく新品を買うのだから、モノとしての楽しみを感じても良さそう。
調子の出ないとき
一日中ダラダラしてしまうときがある。TwitterとYoutubeを片手に。 これが良い悪いは置いておいて、そういう過ごし方をする自分の状態に注目してみる。これは身体からの何かしらのサインなんだと思う。自分の意志で怠惰な生活を打破するとかそういうことではなく。別に良い。焦っても仕方が無い。 またこれか。久しぶりだな。今回はどういうサインなのだろう。昨日見た夢や見過ごした欲求。そういうものを想像してみる。気力があるのなら瞑想のような状態に入れることをしてみても良さそうだ。
memo
欲しいもの
カーテン キーボードスタンド モニタースピーカー ノートパソコン 眼鏡レンズ交換 靴
バイクの免許 机?
2/19
今日は久々にUberEatsをしていない。後でするかもしれないが。毎日同じことを繰り返しているとだれてくる。
友達を作る能力。
大学という場は友人を作る場としての力は高校までと比べると遥かに弱い。 大学生になると自力で友達を作らなければならない。場の力というのは強大さを感じる。 全くの自力で学科の友達を作る。これは難しい。SNSで繋がるか、偶然・ラッキーを拾って接した人を捕まえるか。何の脈絡も無く関わりを持とうとするのは非常識だし、それを非常識と感じさせない高いコミュニケーションスキルが求められる。そんな強者はそもそもそこで悩まない。 友達が数人出来ると大学生活のイージーさあ格段に上がる。
友達を作るために場の力を利用しに行くか。孤軍奮闘で友達を作れる能力は確かに凄いがその道は厳しい。諦めた方が良い。それよりもやはり場の力を利用して人と関わった方が良い。全然楽だし自然だ。
2/18 ドケチ根性と居酒屋の相性は悪い
今朝の体調は55点。ギリギリ落第だ。最近は意味深な夢ばかり見る。起きたときには内容は忘れているが、そのときの感情は残っている。きっと気付かないだけで言語化できない不安があるんだろうなと思う。
居酒屋に行った
昨日は久しぶりに友人とリアルで遊んだ。映画「すばらしき世界」を見て、その後居酒屋に行った。こんな時期に居酒屋に行くなとも思ったが楽しかった。だが同時に友人達と自分の金銭観とコロナ観の違いも感じた。
自分は居酒屋が苦手だ。人が多くて騒がしいし、値段の割に少なくてあまり味も良いとは言えない(イメージがある)。その中途半端さにお金を出すのが嫌なのだ。
美味しいものが食べたければレストランに行こう。安くお腹を満たしたいのならチェーン店に行こう。居座りたいならファミレスでは駄目なのか。居酒屋の割高さ、なんかこう雰囲気や見栄にお金を払っている感じが嫌なのだ。
1皿460円の餃子は噛むと肉汁が溢れてきて確かに美味しかったが、同時にどうでもよかった。王将なら230円で食べられる餃子の満足度に倍の価値は無いと思った。
そして食後に割り勘で1人2000円の会計を見て、もう一本映画見れたじゃん...と思ってしまった。勿論友人と喋り、飲み食いする時間はとても楽しいものなのだが、別にそんな高い場所でやらなくても良いんじゃないかといつも思う。今回の例なら同じ額を出すにしても、もう1本映画を見るという贅沢をし、食事はファミレスで500円で済ませた方が自分の満足度は高かったと思う。
自分はコンビニでお酒とおつまみを買って公園で喋るだけで十分だ。流石に大体の人はそれは嫌だと思うので、せめてファミレスにしてはどうだろうか。
社会人になると学生時代より所得が圧倒的に増える。でもそれでも所得の上限は見えているはずだ。億万長者になった訳ではないのだから、やりたいことや欲しいものがあるならそうでないものに対してはストレスの無い範囲で出し渋るべきだと思ってしまう。
それにそういう考えが頭に染み付いている人に(自腹で)贅沢をさせても却って不満が溜まる。自分はもっと安いものでも満足できるのにと、謎の罪悪感と苛立ちを積もらせてしまう。奢ってくれれば何も文句はありません...