下書き日記

下書き日記

人目を気にせず、断片的に

1/19 記憶

記憶

 昨日の日記で想像力の偏りについて書いたが、これは記憶についても言えることだと思う。 自分は小学校~中学校の記憶が薄い。場面として思い出せてもその時の自分の感情がいまいちわからない。 意識的に楽しかったことを思い出すのが難しい。思いがけなさが必要というか。 何だか思い出したくないような自分の隠れた意思を感じる。

強迫感に中指を立てる

 何かを作ったり、書いたりするときには謎のハードルがある。 「ちゃんとしたものにしなければ」という謎の呪文の書かれたお札が頭蓋骨の裏に張り付いている。

 義務感や強迫感は敵だ、疲れる。誰かから押し付けられた観念なのか、気になる自分の脳の癖なのか、わからない。 去年知ったアリガタイ考えがある。野口整体だ。人間の全ての行動の元には性(生)エネルギーの発散と集注がある、らしい。 なるほど、この文章を書いているのもきっと何かの発散か集注なのかと当て嵌めると義務感の入る隙間が少しだけ少なくなる。  

 見せてしまうとそれで何かを判断させるというのもある。長いもの大きいもの深いもの。そういうものでなければ低い評価が与えられ、良くない扱いを受ける。そういう恐怖の予感がある。自分や社会の何かを受け入れられていないからそう思うのか、よくわからない。

 3年に1度現れる謎の熱量に期待したい。気持ちの引力で重い体を引っ張っていって欲しい。強迫感から起こした行動のゴールは強迫感を解くことにしか向かわないような。苦しいのや不快なのが嫌なのだ。